くろ 海の見える丘に
小さな花畑は、海を見渡せる丘の上にあった。
花畑とはいうが、そんなにたいしたものではな
い。
シロツメクサやタンポポなどが咲き乱れている
程度で、むしろ、草の緑や花の色、そして海の
青さの対比が美しい、そんな場所だ。
ぼくが花畑に着くと、大きな黒い犬がいた。
目が合うと、犬は顔をぱっと輝かせて駆けより、
期待にあふれたまなざしをこちらに向ける。
こんなところに何故犬が。
戸惑いながらも、ぼくは犬の頭を撫でた。
犬はちょと汚れていて、そしてちょっとやせて
いた。
調べると、赤いリードと赤い首輪。首輪には
「くろ」と書かれたタグがぶら下がっている。
連絡先等は無い。
くろは、ここに捨てられたのだろうか。それと
も、迷ってここにたどり着いたのだろうか。
考えても答えは出るはずもなく、ぼくは結局く
ろの求めるままに遊んでやることにした。
ぼくは犬好きだけれども、住まいの事情で飼う
ことができない身の上だったので、犬と二人き
りで遊ぶこの時間は、まるで夢のようなひとと
きだった。
暫らくの後、疲れを覚えて草の上に寝転がる。
海風が心地よい。
波の音とが身を包み、まどろみの世界に誘う。
くろが歩いてきて、頭の上で寝そべる気配がし
た。
ほんの半時ほど、夢の世界を漂ったぼくは、顔
をぺたぺたと触られて、目を覚ます。
ぼくはまだ夢現のまま半身だけ起こし、「くろ
ー」と声をかけるた。
くろは「わん」と一声、静かに吠えた。
そして、急に静かになった。
海の音も、風の音も、海鳥の声もしない。
まるで、夢の中のように、静かな世界。
はっと目が覚めると、もうそこにくろはいなか
った。
そして、ぼくの手には、汚れていろあせた赤い
リードだけが残された。
同時に、音が戻ってきた。
言いようのない悲しみと喪失感が、ぼくを包む。
先ほどまでの事が。くろと遊んだことは、全て
夢だったのだろうか。うつむいたぼくの目に、
土と緑とに埋もれた白いもの映った。
そっと掘り出すと、それは犬と思しき頭骨だっ
た。さらにその下には、赤い首輪も見えた。
きっと、くろはこの綺麗な場所に埋葬されたの
だ。だとすれば飼い犬だったくろは、寂しかっ
たに違いない。
せめて、名前だけでも呼んで欲しかったのだろ
う。答えはわからない。
でも、ぼくと遊んだひとときだけは、幸せだっ
たと信じたい。
引っ越しして、犬を飼おう。
頭骨を埋めなおしたあと、さよならを告げる背
中に、くろの声を聞いたような気がした。
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